像高 98.3cm

 木造十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)

  慈眼寺(じげんじ)は、天文2年(1533)の頃、玉縄城三代目城主北条綱成(1515〜1587)が創建し、中興開山は韓嶺和尚と伝えられる。
 本十一面観音立像は、来歴は不詳だが、慈眼寺の客仏として本堂内に安置されている。総高158.5cm、像高98.3cmの像で、一木造、彫眼、黒塗(後補)になる10世紀(平安中期)の古作とみられている。光背・台座の主要部分も古く、光背の透彫部が12世紀末期(平安末期〜鎌倉初期)、台座の蓮弁・反花・岩座が14〜15世紀(南北朝〜室町中期)の作とみられている。
 なお、化仏の十一面は全部失われ、取り付けた穴のみが残っている。手先、天衣の各部、両足先などは後補である。

 現状、足裏は足枘を欠失し後補の小さい枘を差し込むが不安定で危険な状態にある。また、全身に虫蝕の進行が顕著に認められ、早急な修復が必要な状態にある。3ヵ年計画で修復を行っており、本年度は2年目となる。


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