像高 71.2cm                 像高 67.0cm

 木造伝畠山重宗夫妻坐像(でんはたけやましげむねふさいざぞう)

  新潟市中央区の蒲原神社(かんばらじんじゃ)は、平安時代に越後国蒲原郡の総鎮守として阿賀野川河口に創設され、青海社(おおみのやしろ)と呼ばれていた。南北朝時代には争乱に巻き込まれ廃滅処分されたが、戦国時代末期に新発田重家(しばたしげいえ)(1547〜1587)により五社神社として再興された。元禄3年(1690)に現在の場所に移り、後に蒲原神社と改称された。
 本二像は像内墨書銘から建武元年(1334)大仏師尾張法眼湛賀(たんが)の作と判明している。湛賀は鎌倉時代後期に活躍した慶派仏師法印湛幸(たんこう)の子で、個性的な風貌をよく写し出している。また像の名称の伝来は不明であるが、中世の夫婦像の中でももっとも古く、できばえのすぐれた遺品といえる。
 現状は塵芥等の汚れ、矧ぎ目の遊離、虫損も多い。2ヵ年計画の修復は、本年度で完了する。


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