こんごうみっしゃく                                   まけいしゅら

                     金剛密迹菩薩像                     摩醯首羅菩薩像                     

                                 像高 108.1cm                      像高 109.8cm

 木造二十四善神立像(にじゅうよんぜんしんりゅうぞう)

  宝林寺は、江戸幕府旗本であった近藤登之助貞用(こんどうのぼりのすけさだもち1606〜1696)に招聘された明からの渡来僧の独湛性瑩(どくたんしょうえい1628〜1706)により寛文4年(1664)に開創された黄檗宗の寺院である。

 本尊の釈迦如来坐像の背面には、寛文7年(1667)に大仏師法橋康祐(こうゆう)が造像した旨の陰刻銘があり、その両脇壇に安置されている今回の修復対象である二十四善神像についても、造形や造像技法から、同じ康祐(または康祐工房)による同時期の作とみられている。同寺の仏殿は寛文7年(1667)に建立されており、これらの仏像が完成して直ちに安置されたと考えられる。

 二十四善神は、「金光明経(こんこうみょうきょう)」などにみられる二十天に、明代に道教の四善神を加えたものと考えられ、日本では宝林寺像以外には知られておらず、日本における初期黄檗宗の安置尊像を知る上で貴重な作例である。

 全像ともに経年による劣化・損傷が激しく、2017年度から修復を開始し、10躯を終えたところである。本年度より7ヵ年計画で、残りの14躯について修復を行う。 


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