像高 181.9cm
木造十一面観音立像( じゅういちめんかんのんりゅうぞう)
寺伝によると、乙訓寺は推古天皇の勅願により聖徳太子が創建、後に弘法大師空海が別当に任じられたとされる。平安時代、宇多天皇が譲位後乙訓寺を行宮(あんぐう)とされたため「法皇寺」と号したが、元禄期に護持院住職の隆光が5代将軍徳川綱吉の援助を受けて真言宗寺院「乙訓寺」として再興した。 本像は、長谷寺式十一面観音の特徴を有し、右手に錫杖を持ち、四角形の台座に安置されている。長谷寺式十一面観音の中でも大像であり、鎌倉時代末期に制作されたと考えられる優品である。現在は乙訓寺本堂に安置されているが、元は奈良秋篠寺に本尊として祀られていたものであり、元禄の乙訓寺再興時に移されたものと伝えられ、本像背面の銘文がその由緒を裏付けている。 現状では、経年劣化により各矧ぎ目が緩み、体部前面材・両肩・両足先の矧ぎ目には隙間が生じており、緊急に修理を要した。2ヵ年計画の修復 は、本年度で完了する。