麟祥院の創建は、一説には、寛永10年(1633)に、徳川家光が乳母の春日局のために創建したとされ、現在の方丈も、この時の建築とされる。その方丈には89面の障壁画があり、その多くは海北友雪の手になるものと見られている。
元来作品の多い海北友雪ではあるが、障壁画はそれほど多くはなく、これだけまとまって遺されているところはほかにないことから、海北友雪の画業の幅を知る上で欠くことのできないものである。
しかし、障壁画は、経年劣化が進んでいるほか、打痕や擦れなどの損傷も目立ってきており、早急な修理が求められる状況にある。面数が多いこともあり、まず最も重要な施設である室中の間を飾る障壁画(16面)から修理を始めることとなった。ここには、方丈画障壁画の中でも最も力の入った作品とされる雲龍図が描かれている。6ヵ年計画で修復を図っており、本年度が3年目となる(住友財団としては2年目)。 |