京都市右京区の神護寺は、唐から帰朝した空海が真言密教の拠点とした寺院で、空海および弟子の真済の時代に伽藍、諸仏が整えられ鎮護国家の真言密教寺院として歴史的に重要な役割を果たしてきた。
「紫綾金銀泥絵両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)」は、天長年間淳和天皇の御願により、空海請来の両界曼荼羅に基づき、新たに紫綾に金銀泥を用いて描かれ、神護寺に納められた。密教絵画史の劈頭(へきとう)を飾り、空海在世(774〜835)中に制作された現存唯一の両界曼荼羅として価値は極めて高い。
本曼荼羅は、常に時の権力者たちによって尊崇され、平安時代後期には、仁和寺から蓮華王院の宝蔵そして高野山へと移動を繰り返し、文覚(もんがく)(1139〜1203)の尽力により神護寺に返還された。度重なる移動は曼荼羅に大きな負荷をかけ、14世紀前半には後宇多法皇の発願により大修理が行われている。その後、寛政5年(1793)にも皇室の意向により修理が行われている。しかしながら、寛政の修理から既に200年以上の時間を閲し、現在の本紙は、遊離、横折れ、裂け、亀裂そして擦れなどが生じており、極めて危険な状態にある。5ヵ年計画で修復を図っており、本年度は
その最終年度となる(住友財団としては2年目から4年間助成)。 |